●五月の禅語

茶席の禅語(皐月)

2011年5月31日 (火)

白雲起峰頂

(はくうんほうちょうにおこる)

峰の天辺に白雲が起こる。自然の無碍の姿。

庵中閑打坐(あんちゅうしずかにだざすれば、)
白雲起峰頂(はくうんほうちょうにおこる。) 
   「古尊宿語要」

庵中に心静かにただ坐り、
白雲のおこるのを見ている山中閑居。
世事を放下し、無作為な自然に身を委ね悠々と楽しむ。

2011年5月30日 (月)

雲在嶺頭閑不徹

(くも れいとうにあって かん ふてつ)

遥かかなたの嶺の上に、
悠々として
雲、動かず、閑かに
ただ無心。

雲在嶺頭閑不徹、(雲は嶺頭にあって 閑不徹)
水流澗下太忙生。(水は澗下を流れて 太忙生)
   「虚堂録」、「嘉泰普灯録」
閑不徹・・・不動、徹底した静けさ、静寂
太忙生・・・ざわざわと大変忙しいさま

閑かな雲も谷川を忙しく流れている水も無心の動きである、動静不二。忙しい中でもわずかな閑あり。

2011年5月27日 (金)

南山打鼓北山舞

(なんざんに くをうてば ほくざんに まう)  「雲門広録」

南山で鼓(つづみ)を打てば、かなた北山の人々がそれに合わせて舞う。

無心相応じる妙契。
吾知らずとも、
心の底から湧き出でる無心の響き
時空を超えて符合する不思議。

2011年5月25日 (水)

修竹不受暑

(しゅうちく しょうをうけず)

竹林は、暑気を受けつけない。

節を幾重も持ち真っ直ぐ天に向かい、
青々と竹林が繁茂し、清浄清涼な風情ある日陰ができた。

「陪李北海宴歴下亭」 杜甫
東藩駐蓋。  (とうはん  そうがいをとどめ)
北渚凌清河。  (ほくしょ  せいかをしのぐ)
海右此亭古。  (かいゆうこのていふり)
済南名士多。  (さいなん  めいしおおし)
雲山已発興。  (うんざん すでにきょうをはっし)
玉珮仍当歌。  (ぎょくはい  なをまさにうたうべき)
修竹不受暑。  (しゅうちく しょをうけず)
交流空涌波。  (こうりゅうむなしくなみをわかす)
薀真衢所遇。 (うんしんあうところにかのうも)
落日将如何。  (らくじつはたいかにせん)
貴賤倶物役。  (きせんともにものにえきせられ)
従公難重過。  (こうにしたがうかさねてよぎりかたし )
 

李邕公は、東藩といわれる青州に黒い車蓋をとどめて
北方の渚を経て、河を渡り、この歴下に来られた。
歴下のこの亭は古くから有名で
ここ済南の地には、今日見てのように名士が多く居られる。
この亭で、雲が懸かった高い山を眺めるだけでも興趣が尽きないが
またこの上、玉珮の佳人が向かいに座り、歌を歌ってくれる。
高く青々と茂った竹林は 暑気などはを受けつけず、
合流していく諸々の水も いたずらに波を涌き立たせている。
この真趣ある境地に出会えて、大いに気に入ったところであるが、
日も暮れかかり、どうしたらよかろうか。
人それぞれ、貴きも賤しきも事物に使役され暇の少ないものであるから、
李公のお伴をして風雅な遊びを又してみたいが難しいだろう。

李邕(り よう)・・678年~747年 中国唐代書家

2011年5月24日 (火)

雨後青山青転青

(うごのせいざん あおうたたあおし)  「事文類聚」

青山雨を帯びて、青さらに青なり。

雨に洗われ、雨を吸い
益々、木々生き生きとして葉が茂げり、

若々しく爽やかな
雨上がりの
山の青さを鑑みる。

2011年5月23日 (月)

南山起雲北山下雨

(なんざんにくもをおこし ほくざんにあめをくだす)    「碧巌録」第八十三則

南山に雲が湧き、北山には雨が降る。

因果を超えた深甚な自然の姿。

天は一つ。
東西なく南北もなく因果なく、調和している。
今、何処かで雨が降り、何処かで雲が湧き、また、何処かは晴れている。
世も一つ。
昨日も今日もなく、
無心と無心が、何処かで相応じ、何処かで相映ずる。
その時々、その場で、無心で最善を尽くせばよい。

2011年5月22日 (日)

江上数峰青

(こうじょうすうほうあおし)

青く聳える山の峰々が、ただ大河の川面に映っている。静寂かな風景。

曲終人不見(曲終わりて人みえず)
江上数峰青(江上数峰青し)
          「湘靈鼓瑟」 銭起(722~780)唐時代

歌曲終わって、人が散り、誰もいない。
ただ山の青さを見る。

2011年5月21日 (土)

東山水上行

(とうざんすいじょうこう)

東山が水上を行く

山は不動、水は流動とみるが、人の常である。
しかし、今は、山が水に流れて行くという。
無理会話。
常識によって真実を見る目を錆び付かせていないか、
一度、帳消しにして自然に学べ。

僧問雲門             (僧が雲門に問いかけた
如何是諸仏出身處。(諸仏の出身の場所は何処ですか
師云。 東山水上行  (雲門が云った  東山水上行)

                        雲門文偃(ぶんえん)禅師(864~948)

日出ずる山の命は天地縦横に
川を行き、やがて命豊かな海を育み
時に霧となり、雨となり、天にはたらく。
東山水上行。

渓声山色

(けいせいさんしよく)

途絶えることなく流れ続ける谷川の音、刻々と移りゆく、雄大な山の景色

渓谷も山も説法を惜しまず語り続けている。

渓声便広長舌    (けいせいすなわちこれこうちょうぜつ)
山色無非清浄身 (さんしきあにしょうじょうしんにあらざらんや)
夜来八万四千偈 (やらいはちまんしせんのげ)
他日如何挙以人 (たじついかんかひとにこじせん)
  蘇東坡「贈東林総長老」

注)蘇東坡・・・北宋の詩人・政治家。最高の文人と心酔した道元禅師は、後に『正法眼蔵 渓声山色』を説く

渓谷の流れ続ける音は仏の説法であり、
山の姿は仏の清浄身そのものである。
昨夜来、大自然が八万四千の偈言われる数限りない教えを説示し続けているを悟り、
後日、人にどのように伝えることができようか。

2011年5月20日 (金)

松風颯々声

(しょうふうさつさつのこえ)

松に吹く風の音

心静かに耳を澄まし、一心で松風を聴く。

身も心も松風に包まれ、時をも忘れた清々しく穏やかな無我の境地。

吹くも受けるも響き合う仏の心。

師云。                               (師云く、)
松風颯颯。細雨微微。         (松風は颯颯と、細雨は微微たり。)
紅日銜山。冰輪出海。         (紅日は山に銜ち、冰輪は海より出ず。)
照古照今。未嘗有間。         (古に照らし今を照らすに、未だ嘗て間あらず。)
目前無法。日用分明。         (目前に法なく、日用は分明たり。)
法爾熾然。絲毫不立。         (法爾は熾然として、糸毫も立たず。)
人人具足。各各圓明。         (人人に具足し、各各に円明なり。)
向諸人前。更説箇什麼即得  (諸人の前に向い、更に箇の什麼を説いて即ち得んや。)。
良久云。參。                      (良久して云く、参れ。)               
「續燈録」

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