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2011年6月14日 (火)

雨滴聲

(うてきせい)

鏡清雨滴声
名前にしがみつき分別弁別せず、雨是雨である。

心で受けた現象を二念・三念へと発展させてしまうことが、
生まれながらにもっている清明な鏡(魂)を曇らせ、歪め、傷つけてしまう。
自己本具の明鏡を払い清め とり戻すこと怠らず。

苦が怒りとなるように、不安、悲しみ、混乱等起こすのは、自分の心のありようがそうさせる。
真っ直ぐに受けたものを次々といたずらに心動かし、妄想し、
また言葉にしがみつき混乱して、
執着の連鎖で身を縛ることを戒めている。
我のいない処、雨は滴り落ちている。

鏡清問僧。門外是什麼聲。(鏡清 僧に問う。門外これ何の声ぞ)
僧云。雨滴聲。                (僧云う。雨滴声)
清云。衆生顚倒迷己逐物。(清云う。衆生顛倒して己に迷いて物を逐う。)  「碧巌録」第四十六則
鏡清禅師が弟子の僧に尋ねた。「門の外に聞こえるのはあれは何だ。」
弟子の僧は答えた。「はい、あれは雨だれの音です。」
すると鏡清禅師は、「世の人も今のお前と同じように、物ばかりを追っかけ、自分を見失う。」と嘆かれた。

鏡清道怤(きょうせいどうふ)禅師・・・雪峯義存(せっぽうぎそん822~908)唐末五代の禅師の弟子

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