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2011年5月

2011年5月31日 (火)

白雲起峰頂

(はくうんほうちょうにおこる)

峰の天辺に白雲が起こる。自然の無碍の姿。

庵中閑打坐(あんちゅうしずかにだざすれば、)
白雲起峰頂(はくうんほうちょうにおこる。) 
   「古尊宿語要」

庵中に心静かにただ坐り、
白雲のおこるのを見ている山中閑居。
世事を放下し、無作為な自然に身を委ね悠々と楽しむ。

2011年5月30日 (月)

雲在嶺頭閑不徹

(くも れいとうにあって かん ふてつ)

遥かかなたの嶺の上に、
悠々として
雲、動かず、閑かに
ただ無心。

雲在嶺頭閑不徹、(雲は嶺頭にあって 閑不徹)
水流澗下太忙生。(水は澗下を流れて 太忙生)
   「虚堂録」、「嘉泰普灯録」
閑不徹・・・不動、徹底した静けさ、静寂
太忙生・・・ざわざわと大変忙しいさま

閑かな雲も谷川を忙しく流れている水も無心の動きである、動静不二。忙しい中でもわずかな閑あり。

2011年5月29日 (日)

曹源一滴水

(そうげんのいってきすい) 「碧巌録」

慧能(曹渓)大和尚の「禅の神髄」にあやかり、
尊き水の一滴は、命の源であり、果てない広がりが潜在している。の意

水は天より頂いたもの。
一滴一滴の雨に、命が活かされている。
一滴の水をも無駄にせず。

小の水には小の用い方があり、大の水には大の用い方がある。
用に応じて使うことを智恵と言う。  儀山善来禅師(1802~1878)

曹渓・・・禅の神髄を伝承した6代目の祖師慧能は、唐代の曹渓(現・広東省韶関市)に住んでいたので、「曹渓」とも呼ばれる。[達磨(だるま)→慧可(えか)→僧粲(そうさん)→道信(どうしん)→弘忍(ぐにん)→慧能(えのう)]

曹源・・・曹渓の源泉の意味。慧能(曹渓)大和尚により大成した禅の流れは、臨済・ 雲門・洞山・潙山・法眼の五家、加えて臨済宗の二派、楊岐派と黄龍派を加えて五家七宗に分化して日本には二十四流の禅として伝えられた。

2011年5月28日 (土)

帰家穏座

(きかおんざ)   「大慧録」、「碧巌録」、「嘉泰普灯録」他

家に帰りて穏座する。
修行円熟して、外境に迷わされず、
あたかも家に帰り坐する如く、安穩にして心を労せざるの喩え。

故郷をなくし、帰るところのない身も
自性清浄な本地を見つけ立ち返り、心の故郷に安住する。

2011年5月27日 (金)

南山打鼓北山舞

(なんざんに くをうてば ほくざんに まう)  「雲門広録」

南山で鼓(つづみ)を打てば、かなた北山の人々がそれに合わせて舞う。

無心相応じる妙契。
吾知らずとも、
心の底から湧き出でる無心の響き
時空を超えて符合する不思議。

2011年5月26日 (木)

雲帰山水帰海

(くもはやまにきし、みずはうみにきす)

物事は各皆、根元に帰するということ

2011年5月25日 (水)

修竹不受暑

(しゅうちく しょうをうけず)

竹林は、暑気を受けつけない。

節を幾重も持ち真っ直ぐ天に向かい、
青々と竹林が繁茂し、清浄清涼な風情ある日陰ができた。

「陪李北海宴歴下亭」 杜甫
東藩駐蓋。  (とうはん  そうがいをとどめ)
北渚凌清河。  (ほくしょ  せいかをしのぐ)
海右此亭古。  (かいゆうこのていふり)
済南名士多。  (さいなん  めいしおおし)
雲山已発興。  (うんざん すでにきょうをはっし)
玉珮仍当歌。  (ぎょくはい  なをまさにうたうべき)
修竹不受暑。  (しゅうちく しょをうけず)
交流空涌波。  (こうりゅうむなしくなみをわかす)
薀真衢所遇。 (うんしんあうところにかのうも)
落日将如何。  (らくじつはたいかにせん)
貴賤倶物役。  (きせんともにものにえきせられ)
従公難重過。  (こうにしたがうかさねてよぎりかたし )
 

李邕公は、東藩といわれる青州に黒い車蓋をとどめて
北方の渚を経て、河を渡り、この歴下に来られた。
歴下のこの亭は古くから有名で
ここ済南の地には、今日見てのように名士が多く居られる。
この亭で、雲が懸かった高い山を眺めるだけでも興趣が尽きないが
またこの上、玉珮の佳人が向かいに座り、歌を歌ってくれる。
高く青々と茂った竹林は 暑気などはを受けつけず、
合流していく諸々の水も いたずらに波を涌き立たせている。
この真趣ある境地に出会えて、大いに気に入ったところであるが、
日も暮れかかり、どうしたらよかろうか。
人それぞれ、貴きも賤しきも事物に使役され暇の少ないものであるから、
李公のお伴をして風雅な遊びを又してみたいが難しいだろう。

李邕(り よう)・・678年~747年 中国唐代書家

2011年5月24日 (火)

雨後青山青転青

(うごのせいざん あおうたたあおし)  「事文類聚」

青山雨を帯びて、青さらに青なり。

雨に洗われ、雨を吸い
益々、木々生き生きとして葉が茂げり、

若々しく爽やかな
雨上がりの
山の青さを鑑みる。

2011年5月23日 (月)

南山起雲北山下雨

(なんざんにくもをおこし ほくざんにあめをくだす)    「碧巌録」第八十三則

南山に雲が湧き、北山には雨が降る。

因果を超えた深甚な自然の姿。

天は一つ。
東西なく南北もなく因果なく、調和している。
今、何処かで雨が降り、何処かで雲が湧き、また、何処かは晴れている。
世も一つ。
昨日も今日もなく、
無心と無心が、何処かで相応じ、何処かで相映ずる。
その時々、その場で、無心で最善を尽くせばよい。

2011年5月22日 (日)

江上数峰青

(こうじょうすうほうあおし)

青く聳える山の峰々が、ただ大河の川面に映っている。静寂かな風景。

曲終人不見(曲終わりて人みえず)
江上数峰青(江上数峰青し)
          「湘靈鼓瑟」 銭起(722~780)唐時代

歌曲終わって、人が散り、誰もいない。
ただ山の青さを見る。

2011年5月21日 (土)

東山水上行

(とうざんすいじょうこう)

東山が水上を行く

山は不動、水は流動とみるが、人の常である。
しかし、今は、山が水に流れて行くという。
無理会話。
常識によって真実を見る目を錆び付かせていないか、
一度、帳消しにして自然に学べ。

僧問雲門             (僧が雲門に問いかけた
如何是諸仏出身處。(諸仏の出身の場所は何処ですか
師云。 東山水上行  (雲門が云った  東山水上行)

                        雲門文偃(ぶんえん)禅師(864~948)

日出ずる山の命は天地縦横に
川を行き、やがて命豊かな海を育み
時に霧となり、雨となり、天にはたらく。
東山水上行。

渓声山色

(けいせいさんしよく)

途絶えることなく流れ続ける谷川の音、刻々と移りゆく、雄大な山の景色

渓谷も山も説法を惜しまず語り続けている。

渓声便広長舌    (けいせいすなわちこれこうちょうぜつ)
山色無非清浄身 (さんしきあにしょうじょうしんにあらざらんや)
夜来八万四千偈 (やらいはちまんしせんのげ)
他日如何挙以人 (たじついかんかひとにこじせん)
  蘇東坡「贈東林総長老」

注)蘇東坡・・・北宋の詩人・政治家。最高の文人と心酔した道元禅師は、後に『正法眼蔵 渓声山色』を説く

渓谷の流れ続ける音は仏の説法であり、
山の姿は仏の清浄身そのものである。
昨夜来、大自然が八万四千の偈言われる数限りない教えを説示し続けているを悟り、
後日、人にどのように伝えることができようか。

2011年5月20日 (金)

松風颯々声

(しょうふうさつさつのこえ)

松に吹く風の音

心静かに耳を澄まし、一心で松風を聴く。

身も心も松風に包まれ、時をも忘れた清々しく穏やかな無我の境地。

吹くも受けるも響き合う仏の心。

師云。                               (師云く、)
松風颯颯。細雨微微。         (松風は颯颯と、細雨は微微たり。)
紅日銜山。冰輪出海。         (紅日は山に銜ち、冰輪は海より出ず。)
照古照今。未嘗有間。         (古に照らし今を照らすに、未だ嘗て間あらず。)
目前無法。日用分明。         (目前に法なく、日用は分明たり。)
法爾熾然。絲毫不立。         (法爾は熾然として、糸毫も立たず。)
人人具足。各各圓明。         (人人に具足し、各各に円明なり。)
向諸人前。更説箇什麼即得  (諸人の前に向い、更に箇の什麼を説いて即ち得んや。)。
良久云。參。                      (良久して云く、参れ。)               
「續燈録」

2011年5月18日 (水)

青山緑水是我家

(せいざんりょくすい これわがや)

青々とした山、草木の緑が映える水、この自然が自分の住処である。

ほうぼう行脚する雲水(修行僧)の境涯をいったもの。

注)雲水・・・一所にとどまることなく、様々な師を尋ね仏道を訪ねる修行僧を示す。

新緑映えわたる季節、雄大な自然にあって、互いに耀き合い、命をたたえ合う。自然から恩恵を得て、生かされていることに感謝し、日々家の暮らしも穏やかであるかと顧みる。

木食草衣心似月(もくじきそういこころつきににる)
一生無念復無涯(いっしょうむねんまたむがい)
若人居何処住問(もしひときょいずれとこにすむかととわば)
青山緑水是我家(せいざんりょくすいこれわがや)
            中国唐の僧 龍牙居遁 禅師

木の実を食べ草の衣を着て生活すれば、自分の心も月と同じようになる。
一生は無念にして またかぎりも無い。
仮に、ひとから住居は何処かと問われたら、
即座に青山緑水是我家と応える。

2011年5月17日 (火)

開径待佳賓

(みちをひらきて かひんまつ)

待ちかねたよき客のために道を整える。

賓客をもてなす為に細やかな心配りをする。

準備整い、晴れやかな気持ちでお迎えする。

その心根なくして、良きことは訪れぬという。

2011年5月16日 (月)

動処静得来、纔是性天之真境。

(どうしょにせいをえてきたり  はじめてこれせいてんのしんきょうなり)

活動しているさなか、動揺せず、心の静けさを得られるようになってこそ、
天から与えられた人の本性の真の姿がわかるというのである。

静中静非真静、    (静中の静は真静にあらず、)
動処静得来、       (動処に静にし得来たりて、)   
纔是性天之真境   (はじめてにこれ性天の真境なり。)
楽処楽非真楽、    (楽処の楽は真楽にあらず、)
苦中楽得来、       (苦中に楽しみ得来たりて、)
纔見心体之真機。 (はじめて心体の真機を見る。)
     「菜根譚」

活動せずして動揺しないのは、ほんとうの静けさではない。
活動している時、動揺せず心静かに保つことができるようになってこそ、
本性の真の境地である。
安楽の中での楽しみは、ほんとうの楽しみではない。
苦境の中でも楽ししみを見いだしてこそ、
心の真の働きを見ることができる。

2011年5月15日 (日)

山静如太古

(やましずかなること たいこのごとし)

幽邃な山、太古の昔から変わらぬゆったりとした静かな時が流れている。

ゆるやかな悠久の時の流れにあって、
時間に使われ、追われ、あくせくするばかりで何になろう。

--醉眠(酔うて眠る)--

山靜似太古、(山静にして太古に似たり、)
日長如小年。(日長くして小年の如し。)
餘花猶可醉、(余花なお酔うべし、)
好鳥不妨眠。(好鳥も眠を妨げず。)
世味門常掩、(世味には門常に掩い、)
時光簟已便。(時光簟に便ぐのみ。)
夢中頻得句、(夢中頻りに句を得たり、)
拈筆又忘筌。(筆を拈ればまた筌を忘る。)
                      北宋の詩人、唐庚(とうこう)1070~1120

山は静まりかえり太古のようで、
日は一年もあるかのように長い。
遅咲きの花を見ながら酒を飲み、
啼く鳥心地よく眠りを妨げることもない。
門は閉めたまま世情にかかわらず、
簟(竹や籐で編んだたかむしろ)でくつろいだ時を過ごすにかぎる。
夢の中でしばしば詩句を得たが、
筆つかむと忘れている。

2011年5月14日 (土)

白雲自去来

(はくうんおのずからきょらいす)  「禅林句集」

白雲はただ無心に去来している。

時々に起生し変幻自在な雲
雑念や迷いもいつかは姿形を変え、煩悩も浮かんでは消える雲の様
本来、囚われ留まることを望めぬ
白雲は自由闊達に
青空に遮るものはない

青山元不動  (せいざんもとふどう)
浮雲任去來  (ふうんきょらいするにまかす)
  「五灯会元」巻四
悠然と落ち着いて不動の山のように、
いかなる境遇にあっても惑わされない芯がある姿。

2011年5月13日 (金)

吟風一様松

(ぎんぷう いちようのまつ)

どの松も吹く風に梢を鳴らし 皆一様に音を奏でているかのようである。

山の奥、懐深い自然のしみじみとした風光。
それは同時に、そこに居する禅者、寒山自身の心境を表している。

可笑寒山道、而無車馬蹤。(笑うべし寒山の道、しかも車馬の蹤なし。)
聯溪難記曲、疊嶂不知重。(連渓曲を記し難く、畳嶂重を知らず。)
泣露千般草、吟風一樣松。(露に泣く千般の草、風に吟ず一様の松。)
此時迷徑處、形問影何從。(この時迷径に迷う処、形は影に問う何れ従りかせんと。)

                                                                                 「寒山詩」

注)聯谿(れんけい);連なった谷。  畳嶂(ちょうしょう);重なった高く険しい山峰。

2011年5月12日 (木)

雨奇晴好

(うきせいこう)

雨が降ってもよし 晴れてもまたよし

「飲湖上初晴後雨(湖上に飲す初めは晴れ後に雨降る)」 蘇 軾(そふ)
水光瀲艶晴方好    (水光瀲艶として晴れてまさに好し)  
山色空濛雨亦奇    (山色空濛として雨も亦奇なり)
欲把西湖比西子    (西湖を把って西子に比せんと欲すれば)
淡粧濃抹総相宜    (淡粧濃抹総べて相い宜し)

水面が光り輝く晴れた景色はいい
佇む山に霞かかった雨の奇観もまたいい         
西湖をいにしえの美女西施にたとえるならば
薄化粧も厚化粧もどちらも似合い風情がある。

2011年5月11日 (水)

説似一物即不中

(せつじ いちもつ そくふちゅう)         「伝燈録」

一言でも説けば たちまち的をはずれる。

真理を口にすれば、たちまち逃げていく。

言葉は真理の周辺を取り巻いているが、それそのものではない。

真髄を説き伝えることは難しい。

2011年5月10日 (火)

清流無間断

(せいりゅうにかんだんなし)

清らかな水は、一時も絶え間なく流れ行く。

常に活動するものは、尊い清流のように、新鮮さを持ち続ける。

不断の努力修行が大切である。の意。

清流無間断 (せいりゅうかんだんなく)
碧樹不曾凋  (へきじゅかつてしぼまず) 
『嘉泰普灯録』
清流は絶え間なく流れ、
常緑樹の生き生きとした青さは衰える事はない。

歩々清風起

(ほほせふうをおこす)

一歩一歩、足を運ぶごとに清風が起こる。

無心に精進し続ける人は、

一言一行、起居の間に爽やかな風が吹き

自然にまわりをも包み込んでいる。

2011年5月 8日 (日)

啐啄同時

(そったくどうじ)

機を得て、双方が合致する。

卵から雛が産まれ出ようとするとき、中から殻をつつく音を「啐」。

すかさず母鳥が外から殻をついばみ破ることを「啄」。

「啐」と「啄」が同時に行われて、はじめて雛が誕生する。の意

母鳥を師匠に、雛を弟子になぞり、絶妙な導きの姿。

法眼禪師。(ほうげんぜんじ、)
啐啄同時底機。(そったくどうじていのきあり、)
啐啄同時底用。(そったくどうじていのようをぐして、)
方能如此答話。(まさによくかくのごとくとうわす。)
     「碧巌録」第七則

2011年5月 7日 (土)

一雨潤千山

(いちうせんざんをうるおす)

ひとしきりの雨があらゆる山々を潤す。

分け隔てなく降り注ぐ慈雨をお釈迦様の教えにたとえています。

しっとりとした静けさの中、植物たちが育まれ、
新緑一層冴え、澄明な景色。

2011年5月 6日 (金)

幽鳥弄真如

(ゆうちょうしんにょをろうす)

幽鳥(山奥の鳥)が真如を弄ぶ

山奥の鳥が美しい声で鳴いている。
鳥の囀りから自然の到る処、真実があり、念仏念法を語りかけている。
真の仏法は自分の暮らしを包み、目にも耳にも満ちていた。
そのことに気づかぬ愚かな自分の中にも具わっている。
これを感じ、受け取る心が肝要です。の意。

古松談般若(こしょう はんにゃをだんじ)
幽鳥弄眞如(ゆうちょう しんにょをろうす)   
  「人天眼目」

2011年5月 5日 (木)

三級浪高魚化龍

(さんきゅうなみたこうして うお りゅうとけす )

「龍門三段の滝」を登り上がった魚は龍になる。

中国夏王朝を開いた禹(う)が黄河の治水をした際、龍門山に凄まじいほどの三段の滝ができ、
これを登る魚は龍になるという伝説から、鯉のぼりや登竜門という言葉が生じたとされる。

鯉が滝を登るように、目の前に立ちはだかる難問、試練に挑み続ける。
修練し、辿り着いた者が得られる境地あり。という教えです。

江国春風吹不起  江国の春風吹き起たず
鷓鴣啼在深花裏  鷓鴣(しゃこ)啼いて深花裏に在り
三級浪高魚化龍  三級浪高うして魚龍と化す
癡人猶汲夜塘水  癡人(ちじん)猶汲む夜塘(とうや)の水
     「碧巌録」第七則

2011年5月 4日 (水)

魚行水濁鳥飛毛落

(うおゆけばみずにごり とりとべばけおつ)  「碧巌録」

魚が泳げば水が濁り、鳥が羽ばたいていけば毛が落ちる。

見えないようであっても、人の言動も痕跡を残す。

日々、己の行いに自覚と責任を持ち精進する。

過去の足跡のうえに今は在る。

2011年5月 3日 (火)

山青花欲然

(やま あおくして はな もえんとほっす)

山は青く 花は燃えあがらんばかりである。

春の息吹が充ち、生き生きと活気付く自然豊かな光景

江碧鳥逾白 (江みどりにして 鳥 いよいよ白く)
山青花欲然 (山 青くして 花 然えんと欲す)
今春看又過 (今春 みすみす又た過ぐ)
何日是歸年 (いずれの日にか是れ帰年ならん)
     杜甫 「絶句」

川は碧(青緑色)く、鳥の白さが一層引き立ち、
山の色は青く(緑)、花は燃えあがらんばかりである。
今年の春も、みるみる過ぎてしまうが、
いったい、いつになったら、(戦乱が収まり)郷里へ帰られる年が来るのだろう。

2011年5月 2日 (月)

柳緑花紅

(りゅうりょくかこう)

柳は緑 花は紅。

人の手を加えていない、ありのままの自然な姿に、不動の真実がある。

人間はもとより生きとし生けるもの一味平等である。そして、それぞれに色があるように、その働きは千差万別であり、調和している。

柳は緑、花は紅、 真面目                                               「蘇東坡」

見るほどに みなそのままの 姿かな 柳は緑 花は紅       「一休禅師」

色即是空 空即是色 柳は緑 花は紅 
水の面に夜な夜な月は通へども 心もとどめず 影も残さず    「沢庵禅師

2011年5月 1日 (日)

薫風自南来

(くんぷうじなんらい)

初夏の爽やかな風が南より吹いてくる 。

風香る五月。

新緑の香りをのせた南風は、

執着やわだかまりのない心爽やかな悟りの心境にたとえられる。

薫風自南来  (薫風南より来たり)
殿閣生微涼  (殿閣微涼を生ず)

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