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2011年4月

2011年4月30日 (土)

今日残花昨日開

(こんにちの ざんか さくじつ ひらく)

花の盛りを過ぎ、遅れて咲いた花に、去りゆく春を名残惜しむ。

一刻一刻と時が過ぎ、ほんの一枝にも静かに季節は訪れ、去って行く。

花も人も止まることなく巡る時の中にいる。

一月主人笑幾回 (いちげつ しゅじん わらうこと いくかいぞ)
相逢相値且銜杯 (あいあい あいあうて しばらく さかずきをふくむ)
眼看春色如流水 (めにみる しゅんしょく りゅうすいの ごとし)

今日残花昨日開 (こんにちの ざんか さくじつ ひらく)     「宴城東荘」 崔恵童

一月の間にこの主人が笑うことは何回あるだろうか。
相逢えた機に、まあ、ともかく一杯飲もう。
目の前の春の景色も流れる水のように過ぎ去っていく。
今日散ろうしている花も、つい昨日開いたばかりのものなのに。

中有風露香

(なかに ふうろの かおり あり)

心の在り方は言動に顕れる。
心ある立ち振る舞いから、香るように人柄が伝わってくるもの。
私たちの心の在り方の大事さ、心くばり気くばりの大切さを表した言葉である。

弱質困夏永,奇姿蘇曉涼。(弱質夏の永きに困しみ、奇姿暁涼に蘇える。)
低昂黃金杯,照耀初日光。(低昂す黄金の杯、照輝す初日の光。)
檀心自成暈,翠葉森有芒。(檀心自ら暈を成し、翠葉森として芒あり。)
古來寫生人,妙絕誰似昌。(古来写生の人、妙絶誰か昌に似ん。)
晨妝與午醉,真態含陰陽。(晨粧と午醉と、真態陰陽を含む。)
君看此花枝,中有風露香。(君看よ此の花枝、中に風露の香あり。)

                                                            「蘇軾(そしょく)の詩」

2011年4月28日 (木)

花看半開

(はなは なかばひらくをみる)

花は満開より半開。

満開の花も美しい。

けれど、咲ききる手前

これから咲こうとするの姿は

生き生きとして奥ゆかしい趣がある。

花看半開  (はなは なかばひらくをみ)
酒飲微醺  (さけはびくんにのむ)      
「菜根譚」

2011年4月27日 (水)

八風吹不動

(はっぷう ふけどもどうぜず)

八風は、人の感情を掻き乱す八つの悪い風とされる。

どんな風が吹こうとも、動じぬ確固不抜の心操をいう。

八風とは、「利衰毀譽稱譏苦樂」。
人が求める四順(しじゅん)と、
人が避ける四違(しい)からなる
【四順】
利い (うるおい)・・・目先の利益
誉れ (ほまれ) ・・・名誉をうける
称え (たたえ)  ・・・称賛される
楽    (たのしみ) ・・様々な楽しみ

【四違】
衰え (おとろえ)・・・肉体的な衰え、金銭・物の損失
毀れ (やぶれ) ・・・不名誉をうける
譏り  (そしり)   ・・・中傷される
苦    (くるしみ) ・・・様々な苦しみ



寒山無漏巖 (かんざんのむろのいわお)
其巖甚濟要 (そのいわおは  はなはだせいようなり)
八風吹不動 (はっぷうふけども  どうぜず)
萬古人傳妙 (ばんこ  ひとみょうをつたう)
                「寒山詩」

2011年4月26日 (火)

春風以接他 秋霜以臨自

(しゅんぷうをもって ひとにせっす)
(しゅうそうをもってみずらのぞむ)

人には春風のように接し
自らは、秋霜に身を置く。

自身に厳しくあってこそ、春風のように人に接することが出来るという意味。

どんな春風を以て人に接しているか、本当のところ本人にはわからない。
・・・・答えは風に吹かれている。

春風以接他(春風を以ってひとにせっし)
秋霜以臨自(秋霜を以って自らのぞむ)

人に優しく、自分に厳しく。

2011年4月25日 (月)

清寥々白的々

(せいりょうりょう はくてきてき)

清らかで静寂、どこまでも白い。

無欲恬淡として真正直、わだかまりのないスッキリした心を持ち続ける。

お天道様に顔向けできないことはしない。夜も星はみている。

人が人として生きるために、人は人として考え、人が人となるため修練をする。

似這般 清寥寥白的的。(しゃはんの せりょうりょう はくてきてき にたらば)
不受人處分。            (ひとのしょぶんをうけず)
直是把得定。            (じきにこれはとくじょうして)
如生鐵鑄就相似。      (さんてついなすがごとくに あいにん)      『碧巌録』三十四則

風暖鳥声砕 日高花影重

(かぜあたたかにして ちょうせいくだけ ひたかくして かえいかさなる)

春風吹き渡り、

鳥の囀りがあちらこちらと燦めくように飛交う。

陽光高くから照らし、

咲き誇る花々の影がゆらゆらと重なり合っている。

ゆったりとした長閑な春の中に、禅者の辿り着く境涯あるとする意。

早被嬋娟誤  欲粧臨鏡慵
承恩不在貌  教妾若為容
風暖鳥声砕  日高花影重
年年越渓女  相憶採芙蓉
            「春宮」  杜荀鶴(唐末、後梁の詩人904没)

2011年4月24日 (日)

始随芳草去 又逐落花回

(はじめは、ほうそうにしたがってさり  また、らっかをおうてかえる) 

始めに芽生えた草のいい香りにさそわれてゆき、また散る花と共に帰ってくる。

目的はなく、痕跡を残さず、
足に任せて気の赴くままに散策。
迷のない心は、悠々と無限の春を享受し、
春の陽気と一体となっている。

始随芳草去(始めは芳草に随って去り)
又逐落花回(また、落花を逐て回る)
         『碧巌録』三十六則、長沙遊山

2011年4月22日 (金)

時々勤払拭

(じじにつとめてふっきせよ)

常にきれいに しておきなさい。

掃除も毎日、心も毎日、曇りを取りのぞき磨き続けることが大切の意。

身是菩提樹 (身はこれ菩提樹)
心如明鏡臺 (心は明鏡台の如し)
時時勤佛拭 (時時に勤めて佛拭し
莫使有塵埃 (塵埃を有らしめること莫れ)       「神秀(605~706)の詩」

2011年4月21日 (木)

呑水冷暖自知

(みずをのんで れいだんじちす)

水を飲んで冷暖を自ら知る

水の暖かさや冷たさは、自分で直に確かめるとピシャッとわかる。

説明や理屈ではそうはいかない。

2011年4月20日 (水)

風従花裏過来香

(がぜかりよりすぎきたってかんばし)

花を通り抜けた風に、花の香りがしている

風が花を揺らし、花の香りを託され、少し遠くまで乗せていく。

風は形のない見えぬ器

時に触れ、出逢いを重ね、受け取り受け渡し、伝え合う。

気がつけば、人も風も似ている。

水自竹辺流出冷 (水はちくへんより流れ出て冷やかなり)
風従花裏過来香  (風はかりより過ぎ来たって香し)          「禅林類聚」

2011年4月19日 (火)

一夜落花雨 満城流水香

(いちやらっかのあめ まんじょうりゅうすいかんばし)

咲いていた花は、昨夜の雨にうたれ落ち、

雨水は花の香りをのせ、共に街中を流れている。

花有清香月有陰

(はなにせいこうあり つきにかげあり)

花は清らかな香りがただよい、月は朧にかすんでいる。

花には花の 月には月の 持ち味があり、

それぞれがそれぞれの良さを発揮したところに、妙がある。

                 

--春夜--

春宵一刻直千金(しゅんしょう いっこく あたい せんきん)
花有清香月有陰(はなにせいこうあり つきにかげあり)
歌管楼台声細細(かかん ろうだい こえさいさい)
鞦韆院落夜沈沈(しゅうせん いんらく よる ちんちん)   

                           蘇東坡(そとうば) (蘇軾(そしょく))1037~1101北宋時代


春の夜は、趣深く、ひとときが千金に値する。
花は清らかな香りがただよい、月は朧にかすんでいる。
歌や管弦の音が響いていた高殿も、今は微かに聞こえるだけ。
中庭には、だれもいなくなったぶらんこが下がり、春の夜は深深と更けていく。

2011年4月17日 (日)

百花為誰開

(ひゃっかたがためにひらく)

たくさんの花々はいったい誰のために咲くのか。

見る人を喜ばせようと咲くのでなく、

何の思惑もなく無心に咲く。

何か目的の為、命があるのでなく、

大自然の仕組みや働きの中で命が与えられ、

生かされている。


牛頭沒。馬頭回。 (ごずぼっし、めずかえる。)
曹溪鏡裏絶塵埃。(そうけいのきょうりじんあいをぜっす。)
打鼓看來君不見。(くをうってみきたるもきみみず。)
百花春至爲誰開。(ひゃっかはるいたってたがためにかひらく。)    『碧巌録』第五則

2011年4月16日 (土)

花簇簇錦簇簇

(はなぞくぞく にしきぞくぞく 

満開の花が群れとなり、錦のようだ。

群生した花々が見事に咲き賑わい、どこまでも錦を敷き詰めた華やかさだ。


花簇簇錦簇簇。        (はなぞくぞく にしきぞくぞく。)

南地竹兮北地木。     (なんちのたけ ほくちのき。)

因思長慶陸大夫。     (よっておもう ちょうけい りくたいふ。)

解道合笑不合哭。(いうをよくす わらうべしこくすべからず と。いい。)

                                                                                    「碧巖録」

2011年4月15日 (金)

一華開五葉

(いっかごようにひらく)

一輪の花が五弁の花びらを開き咲く。

迷いや煩悩から解かれ清浄無垢な心に立ちかえり、

真実の心の花が開くと 五智により、やがて自然に仏果菩提の実を結ぶ。


五つの智慧――

①  大円鏡智・・知識以前、経験以前の清浄無垢な心ですべてを写しとる智慧

② 平等性智・・分け隔てなく万物平等に仏心をあらわす智慧

③ 妙観察智・・真・善・美の妙なる実在世界を観察する智慧

④ 成所作智・・成すべきことを成し遂げる智慧

⑤ 法界体性智・・この世の一切の存在は仏心の現れととらえる智慧


吾本来茲土(われもと、このどにきたり)

伝法救迷情(ほうをつたえてめいじょうをすくう)

一華開五葉(いっかごようにひらき)

結果自然成(けっかじねんになる)         「少室六門集」

2011年4月14日 (木)

逢花打花

はなにあえば はなをたす)

花が咲いていれば花を愛でる。

花と向き合い、無心に享受する。

今ここ、共に命あるものが出逢い、理屈抜きにしっかり向き合う。

後に心残さず、出逢いに感謝し、清々しい気持ちになれるような行いの意。

逢花打花  (花に逢えば 花をたし)

逢月打月  (月に逢えば 月にたす)

春入千林処々花

(はるせんりんにいれば しょしょにはな)

春になり林は一斉に芽吹いて花咲り、

春のうららかな陽光が、平等に至るところふりそそぎ、大自然を育む。

千差万別の区別を越えた広大無辺の慈悲の姿。

春入千林処々花 (春千林に入れば処々に花)
秋沈万水家々月 (秋は万水に沈む家々の月)        『北磵居簡禅師語録』

洞中春色人難見

(どうちゅうのしゅんしょく ひとみがたし)         虚堂智愚(1185~1269)南宋時代の禅僧

洞窟の中にも春が来るが、人はそれに気づかない。

目視しうる花々や草木は春の到来をはっきりと示し、

変化のないような洞窟の中では、春の気配を感じえる。

見難きを見、感じ難きを感じとる細やかな心を大切に・・・・。

2011年4月12日 (火)

萬家太平春

(ばんかたいへいのはる)

千門万戸に瑞気が溢れて、太平の御世の春となった。    【鄭虎文・清】

---2011年4月11日14時46分18秒 東日本大震災。あれから一月。                               。

---いつの日か、平和に治まり穏やかな春を迎えることができますように・・・合掌。

2011年4月10日 (日)

花開蝶自来

(はなひらけば ちょうおのずから きたる)

季節が巡り、花も蝶も特別な意図なく、無心で咲き、また無心で訪れるという自然の道。

他意なく徳あるところへ人は慕って来る。

    花無心招蝶    花 無心にして蝶を招き
  蝶無心尋花    蝶 無心にして花を尋ぬ
  花開時蝶来    花 開く時、蝶来り
  蝶来時花開    蝶 来る時、花開く
  吾亦不知人    吾れも亦人を知らず
  人亦不知吾    人も亦吾れを知らず
  不知従帝則    知らずして帝の則に従う

                                                  良寛(曹洞宗)

2011年4月 9日 (土)

弄花香満衣

(はなをろうすればろう かおりころもにみつ)

花を摘んでいると、自分の衣も香りに包まれこころまで花と一体となって、清々しい境涯に至る

「花の香り」を良い教えと考えますと、徳や良い教えに触れると、気付かぬうちに影響を受け、香りはなつように

掬水月在手 (水をきくすれば 月、手にあり)
弄花香満衣 (花をろうすれば 香、衣に満つ)     中唐の詩人、干良史(うりょうし) 「春山夜月」

               

2011年4月 8日 (金)

看脚下

(かんきゃっか)

自分の足下を見よ。

転じて「足もとに注意せよ」、「履き物をそろえなさい」、

「己の立脚するところを見失うことなく、常に自戒せよ」といった意。

遠いところや他に気をとられながらでなく、今なすべきを、やっていく ことが大切。

履き物をそろえることは、次なる行動のためでもある。

2011年4月 6日 (水)

落花有意隋流水 流水無情送落花 

(らっかゆういずいりゅうすい りゅうすいむじょうそうらっか)

落花意ありて流るる水に随い
流水情なくして、落つる花を送る
   「従容録」巻六

花は流れに運ばれようとして落ちたのではなく、

川は花が落ちるのを待っていたわけではなく、

花は自然に散り、川は無心に流れていく。

生きとし生けるもの(有情)と水の流れ(無情)が一つとなった、美しい情景。

散る花と運ぶ流水(川)のように、人と人の交わりも無心あるがままであれという意味

2011年4月 5日 (火)

不思善、不思悪

(ふしぜん ふしあく)

不思善(ふしぜん)、不思悪(ふしあく)

正与(しょうよも)の時、

那箇(なこ)か是(こ)れ

明上座(みょうじょうざ)が本来の面目(めんもく)        (『無門関』第二十三則)

----善を離れ、悪を離れた時、一体全体どれが貴方の本来の姿ですか。----

一般に、知性的理解は、二元的対立の概念。

理解に止まらず、自分で都合のいい解釈をして執着を生む。

考え方に捕らわれる故、心眼が曇り思い煩うことを自覚し、

二元の対立を超えた無念無想の境地へ......

それは、もともと私たちが持っている心の姿。

桜花無尽蔵 

(おうかむじんぞう)

一輪の桜花は短い命であるが、そこに永遠の生命を見出す禅人の境

2011年4月 3日 (日)

花知一様春

(花は一様の春を知る)

「月知明月秋 花知一様春」

月は明月の秋を知り、花は一様の春を知る

---誰も教えるわけではないのに、月はその姿がよく似合う秋の空を知り、

花は陽光の春を知っている---

月や花は、無心のうち時をたがえることがない。自然の摂理の不可思議をうたっている。

2011年4月 2日 (土)

山花開似錦

山花開似錦 澗水湛如藍 (碧巌録第八二則 大龍堅固法身)

山花(さんか)開いて錦(にしき)に似たり 澗水(かんすい)湛(たた)えて藍の如し

山々の花は咲き乱れ錦のよう。谷の水は豊かに湛えは藍のようである。動かぬように見えても 花はやがて散り、水は流れるままに....。.一刻一刻移り変わりゆくこの大自然の営みこそ常住不変である。

2011年4月 1日 (金)

名利共休

(みょうりともにきゅうす)

利休の名前の由来となる禅語と言われています。

名利とは、名聞利養(みょうもんりよう)のこと

「名聞」・・名誉が世間に広がる
「利養」・・財を追い求める

それをともに休もうと言うことです。

名声や利益に執着せず、「直心」で.....。

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